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MC.205 (航空機) : ミニ英和和英辞書
MC.205 (航空機)[えむしー205]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空機 : [こうくうき]
 【名詞】 1. aircraft 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [き, はた]
 (n) loom

MC.205 (航空機) : ウィキペディア日本語版
MC.205 (航空機)[えむしー205]

マッキ MC.205(Macchi M.C.205)は第二次世界大戦において使用されたイタリア戦闘機。愛称はMC.205Nがオリオーネ(Orione、オリオン座の意)、MC.205Vがヴェルトロ(Veltro、グレイハウンドの意)。生産時期や生産数などから、活躍はできなかったものの、P-51D マスタングに引けをとらない高性能であったとも云われている。

== 概要 ==
MC.200 サエッタエンジンドイツダイムラー・ベンツDB 601に換装したMC.202 フォルゴーレは成功を収め、イタリア空軍主力戦闘機として活躍した。軍はこの優秀な機体に更に高出力のDB 605エンジン(1,475馬力)を搭載することで更なる性能アップを目指した。
計画は、機体にも大幅な改造を施した本命の205Nと、最小限の改造で済ませた暫定の205Vの2本立てで進行した。オリジナルのDB605を搭載した原型機は、共に1942年に初飛行したが、大幅な改良を施したわりには、205Nの性能は205Vとほとんど変わらず、むしろ速度では205Vより劣り、実用化の価値なしとして、205Nは早々に廃案となった。
ヴェルトロの量産化に当たり、フォルゴーレの場合と同じくDBエンジンがドイツ本国向けの生産に追われている状況で入手困難であることは予想がついていた。故に、軍はDB601と同じくDB605に関してライセンス契約を結び、フィアット社に於いてR.A.1050 RC.58 ティフォーネ(Tifone、台風の意)の名でライセンス生産の計画を同時進行させた。ただ、このエンジンの生産に手間取ったため、ヴェルトロの実戦投入はイタリア降伏の直前になってしまった。
ヴェルトロの武装はMC.205Vの初期生産型で12.7mm機銃×2(機首、プロペラ同調)、7.7mm機銃×2(主翼)というもので、これはフォルゴーレと同じであった。ただ、同じ武装のフォルゴーレが戦局の悪化に伴いイタリア本土に飛来してくるようになった連合軍の大型爆撃機に対し火力不足であるのを見て、後期生産型では機首の12.7mm機銃×2は同じだが、主翼の7.7mm機銃×2をMG151/20(ドイツ製20mm機関砲)×2へと換え、より重武装になっている。
ヴェルトロは1943年6月、シチリア島沖に展開する連合軍艦船へ攻撃を行った爆撃機の護衛任務でデビューした。その後イタリア降伏までの約2ヶ月に渡り、ヴェルトロは連合国の戦闘機と戦い、それらより優れていることを証明した。一例を挙げると、8月2日にベルトロ6機はP-38P-40合わせて20機の敵機に遭遇したが、数にして3倍もの敵機を相手に6機を撃墜(被撃墜1機)するという戦果を挙げている。
MC.200、MC.202と続いたマリオ・カストルディ技師の設計による一連の戦闘機はMC.205ヴェルトロに至って完成した。そしてそれは第二次世界大戦においてイタリアが生み出した最優秀戦闘機でもあった。
一方、イタリア国内では7月25日ムッソリーニ憲兵隊に拘束され失脚し、後任のバドリオ政権下で連合国側と休戦交渉を進めた結果、9月8日アイゼンハワーがイタリア無条件降伏を発表した。もっとも、これでイタリアの戦争が終わったわけではない。バドリオが連合国側に寝返る事をかねてから警戒していたドイツ軍はイタリア国内に軍を進め、ムッソリーニを救出しイタリア北部にイタリア社会共和国(サロ政権)を立てた。ここに南部のバドリオ政権(連合側)と北部のサロ政権(枢軸側)という分裂状態が生じた。
終戦時国内に残っていたヴェルトロは66機であったが、うち6機が連合国側へ移動し、 で使用された。一方、29機がサロ政権下のファシスト空軍、及びドイツ空軍で使用された。北部では降伏後も生産が続けられ、完成機はドイツ空軍に引き渡された。
大戦終結後もヴェルトロの運用は1947年まで続けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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